宝 物

砥鹿神社の摂社の北西に、例祭で使用する御輿を保管する「御輿殿(みこしでん)」があります。
当殿では御輿をはじめ、当社の宝物類を収蔵しています。

 1、 田峯の銅鐸(だみねのどうたく) 弥生時代中期末 愛知県指定文化財
 2、 経筒(きょうづつ)他経塚出土遺物 鎌倉時代末期ー南北朝期 砥鹿神社社務所出土
 3、 神馬用和鞍(しんめようわぐら) 永禄3(1560)年 一宮町指定文化財
 4、 三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起(みかわのくにいちのみやとがだいぼさつごえんぎ) 天正2(1574)年
 5、 脇差 銘 備前国住長船祐定/天正年八月日 安土桃山時代
 6、 田原城主三宅康勝書中臣祓(たはらじょうしゅみやけやすかつしょなかとみばらい) 天和3(1683)年
 7、 後西天皇第六皇女染筆伊勢物語(ごさいてんのうだいろくこうじょせんぴついせものがたり)  江戸時代
 8、 本宮山眺望之図(ほんぐうさんちょうぼうのず) 文政5(1822)年3月写
 9、 吉田城古図(よしだじょうこず) 江戸時代後期 作手村 柴田虎氏寄贈 縦154.7p 横226.1p   江戸時代後期 吉田城は永正2(1505)年に、牧野古白によって築城され、当初は今橋城と称されていた。後に池田輝正が十五万二千石で入封、改修が図られ、松平家清・忠利の時代に完成する。
その配置は、北側に流れる豊川(青色部)を背後に、本丸を中心として、二の丸・三の丸を置き、土塁と塀とを隔てて武家屋敷で囲む、半円郭式と呼ばれる形式のものである。吉田藩と砥鹿神社との関係は深く、明和7(1770)年から天保2(1831)年の間、藩命により30回以上の雨乞いが行われていた事が知られている。
本図は江戸期の城内区画を鳥瞰したものであり、当代武家屋敷(黄色部)の詳細な配置等が窺える。
10、 神輿(みこし)  江戸時代
11、 本祠祭文録(ほんしさいもんろく) 天保15(1844)年
12、 海軍軍医総監戸塚環海書太鼓楼扁額(かいぐんぐんいそうかんとづかかんかいしょたいころうへんがく) 明治期

 宝物一覧

本宮山出土石斧 縄文時代
石鏃 縄文時代・弥生時代
本宮山出土勾玉 古墳時代
田峯の銅鐸 弥生時代中期 
三河国分寺跡出土八葉蓮華文軒丸瓦 奈良時代
同  唐草文軒平瓦
経筒 陶製 鎌倉時代末期ー南北朝期 
 (経塚出土付属物)
  亀甲地双雀鏡 青銅製
  刀子 2本 鉄製
  皿 9枚 瓦製
狛犬 室町時代頃
神馬用和鞍 永禄3(1560)年2月 室町時代後期
三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起 天正2(1574)年7月
脇差 銘 備前国住長船祐定/天正年八月日 安土桃山時代
脇差 銘 摂州住藤原国貞  江戸時代初期
長巻 銘 木曽住信重作 江戸時代初期ー中期
脇差 銘 兼定 江戸時代
後西天皇第六皇女染筆『伊勢物語』 2冊 江戸時代 
田原城主三宅康勝書『中臣祓』12冊天和3(1683)年
参州寶飯郡一之宮村与同郡日下部村中嶋村境論裁許絵図
 縦82・6p 横186・9p 貞享2(1685)年
田楽舞鬼面 元禄12年5月11日奉納 木製
本宮山眺望之図 文政5年3月写
吉田城古図 作手村柴田虎氏寄贈 江戸時代後期
徳川斉昭御筆「月梅水墨画讃」(真贋不詳) 江戸時代末期
神輿 江戸時代
本祠祭文録 草鹿砥宣隆筆 1冊 天保15(1844)年
長歌対句類聚 草鹿砥宣隆筆 嘉永4(1851)年 (内題『駢句抄』)
霊剣 慶応2(1866)年作製 銘「砥鹿大神」
海軍軍医総監戸塚環海書太鼓楼扁額 明治期
東郷平八郎書「砥鹿神社社号軸」
佐佐木信綱書「砥鹿神社祝歌」 昭和期
「静浦」 山下竹斎画 昭和期
紙芝居 昭和期

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